定年自由生活

定年後、好きなことを見つけるための日々の考察

定年後の不安と憂鬱に対する対処法

自分が、少なくとも今現在は不安と憂鬱な毎日から逃れられている理由。
 
・今日明日にも飢え死にするわけでは無い。おそらく、この先もずっと住むところと食べるものが手に入らないというような苦難が訪れることはない。と言うことをまず心に刻むこと。
 
・今すぐに収入を得るあてがなくても、5年でも10年でもかけてネットを活用して自分でお金を得ることができる自分らしい仕事を生み出すことを考えていけば良い。
 
先日の日記に書いていたこと
 
***
# 長期の目標を立てること
昨日本屋に行った時に目について立ち読みをした「定年後不安」。
定年後ブームに乗った本だと思い、あまり期待せずに開いたのだが、立ち読みの間に、定年後に始める仕事の条件に「自分の好きな仕事であること」という項目が最初に入っていることが重要だという記述を見て、すぐにkindleで購入を決めた。
 
その本を読んでいる最中なのだが、気づきがあった。
 
そうか、長期の目標を立てれば良いのだ。
筆者と同じ目標だが、
 
75歳まで、人に使われるのではなく自分が主体となって現役で働き、75歳からはハワイやバリの長期リゾートホテルでネットを使って仕事ができる環境を準備しておく。
 
その目標に向かって、今どんなことを考えてどのような準備をしていけば良いかを考える。
 
長期的な視点に立つと、先日ショックだと思っていた以前勤めていた会社からの仕事が途絶えることも単に目先の問題であって長期目標には何ら影響を及ぼさないばかりかむしろ新たな取り組みを始める良いチャンスだと言うことが分かる。
 
何をやって報酬を得ていくのかは分からない。ただ、それも目標に向かって着実に実績を上げるための努力をし続けることが大切。
 
過去に、子供が小さかった頃は、会社から独立することを考えていたときには、収入を減らさないようにと条件が付いたが、
今回は、奥さんから「別に収入がなくなってもいいよ」という声を掛けられた。
あと、今悩んでいることは、このまま何もせずにいたら仕事がなくなってしまうという当たり前のことで、最悪な場合を考えてみても、この先飢え死にすると行ったような心配は全くない。
 
ただ単に、すべてがうまくいかなくなったら、海外旅行や高価な買い物などの贅沢ができなくなる可能性があるというだけのこと。
 
***
 
つまりそういうこと。
毎日、ルーティンとなる作業をした上で、書斎にこもって自分で決めた仕事をしているのだが、あれこれネット上で学びつつも常に考えているのは、現状行われているネット上のビジネスにはとらわれないで、あくまでも自分だけのあたらしい仕事を生み出すこと。
 
既存の資本主義の中で行われてきた企業活動から離れて、個人がフリーエージェントとして自由な立場で社会の中で価値を生み出し対価を得ている姿が未来の理想。しかも、価値を生み出すための生産手段は自分の所有している情報機器を使ってのバーチャル空間での作業が実現することだろう。
そこでは、性別も年齢も関係がなく、ロケーションフリーで時間にも縛られないはず。
 
現状でも、クラウドソーシングでその片鱗は見えてはいるのだが、まだ自分のイメージする理想像からはほど遠い。でも、いずれ理想的な仕事環境が得られるだろうと期待しているし、それもそれほど長い年月を必要とせずに変貌して行くに違いない。
現在、クラウドソーシングでやり取りされている仕事は、単発のデザイン、ソフトウェア開発、ライティングなどが中心で大きなプロジェクトを組織化して動かすような動きは見当たらない。
 
自分は、企業の中ではプロジェクトテーマを発案し、そのプロジェクトの推進にあたって社外のあたらしい人材やプロダクションを発掘しつつ異なるジャンルのスタッフたちを組織化していってプロジェクトを進めることが得意だった。
そのような事を、企業ないの説得と予算で作り上げるのではなく、個人でも進められるような環境をつくり出すことができれば素晴らしいと思っている。
 
さて、どのように実現していくのか。

結局Webライティングを試してみた

あれこれ考えて、あまり乗り気ではなかったはずなのに、Webライティングをやってみたらけっこう楽しくてのめり込むかもって言うお話し。
 
 
月曜から、shinobiライティングを突然始めてみた。
以前に登録してあったまま放置してあったのだが、事務局から定期的に来ているメールをなにげなく開いて、思い出してもう一度ページを眺めていたら、自分にも書けそうなお題があったのでためしに書いてみた。
 
取りかかりに書いてみたのは、お店紹介の文章。
ライティングする項目名や本文枠には書くべき内容があらかじめ箇条書きのように書かれていて、趣旨の通りにリライトするというような、とても簡単なライティングだった。
 
選んだ案件はどれも280ポイント程度のものだったので、どても簡単な内容で一度に5件ほど書いてみた。
とはいえ、初めてのライティングで少々気合いを入れて書いていたので、2,3時間くらいかかっただろうか。
じぶんでは、すらすら書けている気分だったのだけど、実際にはキーボードを停めて考えている時間とか、ネットで調べてみたりする時間も結構取られた。
ただ、求められている記事を仕上げるという明確な目標が短時間でこなせるので、なにかゲームをやっているような感覚でのめり込むことができ、けっこう楽しい時間を過ごしていた感じがする。
記事をアップしてから5分も経たないうちに「承認」がつくのがいい。
なんだか、日頃、誰からも承認されていない生活を送っていると、それがやけに嬉しかったりする。
 
現在の自分の仕事のペースだと、1日2,3時間も根を詰めて仕事をすることが希なので、十分に仕事をした感覚になった。
(いま、履歴をみてみたら6件で2時間だった。)
 
まあ、時給に直してみると1時間500円にもなっていないのだが、それでも確実にお金(ポイント)を稼ぐことができたことに満足感を得ることができた。
 
今のところは、このブログを含めて、とにかく文章を大量に書くことでなにか経験値を増やしているような感覚。
これから何をやるにしても、Web上でのコンテンツ発信やコミュニケーションが頻繁に必要になる事が予想されるので、素早く考えをまとめて文章にまとめることが、必須になるはず。
(今後何をビジネスにするのか、まったくかたちも見えていないはずなのに、こんな事を考えている。)
 
今週は、今までに9500ポイントを獲得。1ポイントは0.5円なので、5000円程度なのだが、単純な内職だと思えば、頑張れば少しは家計の足しになるかもしれない。
というよりも、なにか最低限の仕事を得ると言う意味でこれも良いかもしれない。
 
いまのところ、将来にわたってライティングをメインの生業としていくと言う考えもないのだが、簡単なWebライティングから始めて少し高度なライティングに挑戦してみることも少し探ってみたいとも思う。
 
とにかく、現時点でも多少なりともネットを使ってお金を稼ぐ手だてがあると言うことを実感できただけでも、今の自分には大切なことなのだ。
 

定年後 望んでいるのはどんな生活?

自分が理想とする生活ってどんな生活なんだろう。
 
これから先も仕事を続けているにしても、どこかの会社に雇われて朝から晩まで拘束されるのは嫌だし、そもそも性に合わない。
 
そんな生活ならば、お金を極力使わないように家で本を読んだり、インターネットを駆使しながら自分なりの考えをまとめていた方がよほど良い。
 
国内旅行、海外旅行はどうせ行くのならちょっと贅沢な旅行が良い。
でも2017年に、贅沢な国内旅行もハワイ旅行も楽しんでしまって、これ以上どうしても行きたいというような気も少なくなった気がする。
 
食事
去年は、旅行中や家具を探して東京へ何度か出かけたときなど好きなお店に行って好きな食事を楽しんだ。
 
旅行も食事も、素敵なリフォームを終えてシンプルになった理想的な家で過ごして、妻と一緒に自分たちで適当な食材を買ってきて家で食べるのが楽しい。
お酒も安いワインとビールで十分満足できるし。
 
定年後も仕事を続けられたらその方が良いと考えていた
 
1)生活費に余裕ができて、贅沢な楽しみにお金を掛けられるから
 
2)仕事に楽しみを見つけて達成感を得ることで充実した気分が味わえるから
 
3)多少のストレスや頭を使うプレッシャーがあった方がボケずに若々しくいられるから
 
4)仕事をしていないと、気分がおちこんだり急激に老け込んだりするから
 
といったところが理由だろうか。
1)は、あればそれに越したことはないだろうが、上に書いたように無ければないなりに楽しく生活をしていくことはできる。
2)は、何でもかんでも仕事をすべきと言うことではなく、自分の楽しみにできるような仕事で、十分に達成感を味わえるような仕事だったら続けるべきだという条件づきだ。
もし、嫌な仕事のためにイヤイヤどこかの会社に通い毎日長い時間を拘束されるようになるならば何のためにそれを我慢しているのかが分からなくなる。
楽しい仕事が見つからないのなら、自分一人でパソコンとインターネットを駆使して自分でできる仕事を企画し考え抜いていた方がよほどいい。
そうであるならば、3)4)に関しても、答えは
「人に雇われることを考えずに、自分でお金を稼ぐことができる仕事を企画して実現に向けて行動していく」
というのが正解だろう。
ちょっと前は、
まずは「ブログ」を始めよう。
退職後の自分の心情を中心に、シニアフリーランスを目指して活動していく日々を自分の日記として書き綴っていく。
と言うようなことを考えていた。
まあ、それも悪くはないし、ぐだぐだ考えているよりも始めた方が良いとは思う。
ただ、ブログを収入を得るための手段となるように構築していくというとてつもない労力は払うべきではないかもしれない。
いま世の中で言われているアフェリエイトGoogle AdSenseの様なもので個人が収益を得ると言うのはたぶんYouTuberで追い金を稼ぐというのと同じくらい特殊な一部の人のみになっていることだろう。
それよりも、まだ誰もやっていないようなことで、これから出てきてもおかしくはないというような全く新しい形態のサービスや価値提供を考えた方が可能性が高い。
ちょっと考えて、いまのライティングビジネス(つまりブログや記事制作をはじめとしたテキストを書き続けることで対価を得るという方向性)は、単に気晴らしのために読まれる文章の垂れ流しがほとんどであまりにも作られた軽さのようなものがどうも性に合わない。
といっても、自分が別に高尚で気の利いた文章を書けるとも思ってはいないのだが、もし自分が書くとしたら、少なくとも気晴らしを求める読者に迎合するようなものではなく、あくまでも自分の中にある思いに忠実に考えを綴ったものでありたいのだ。
 
 
家を新築同然にリフォームすることができたのはとてもいい決断だったし成功したと思う。また、家電や家具、設備類も全て新品にすることができ、今後のメンテナンスにかかる不定期な出費からほぼ逃れられた。
また、ミニマリズム的なすっきりとした生活空間を手に入れたことも大きい。
 
コンピュータやITガジェット類は全て新品で満ち足りている。
 
当初は、退職後の収入が確保できれば買おうと思っていたフォレスターは諦めたが、長距離ドライブに行く計画がしょっ中あるわけでもなく、さほど不自由は感じていない。
つまり、働いて収入を得られなくても何の不自由もなく暮らして行くことはできると言うこと。
 
今後、何をするにしても収入を得るために自分にとって楽しみの源泉にならないような仕事をイヤイヤし続ける理由はないと言うことだ。
もちろん、収入が得られるように努力はするし積極的な行動をしていきたいし、そのつもりだ。ただ、目的は金銭の獲得ではなくあくまでも自分の人生を輝かせるための努力であり活動であると言うこと。
だから、単に仕事がなくなるかもしれないとか、収入がなくなるかもしれないと言うことで不安になったりくよくよしたりすることはやめよう。
 
毎日素晴らしい景色の田舎道を歩いたり、すぐ近くにある散歩道が木っ端で整備された森の中を小鳥の鳴き声を聞きながら散歩したりしている。
こんな散歩環境があるところで生活ができるなんて、なんと幸福なことだろう!
 
ーーーーー
 
というのは、少し前に日記に書いていたこと。
 
結局、数日前からブログは始めてみた。
 
それから、今週は唐突にShinobiライティングで、始めてWebライティングをやってみた。
まだ3日ほどで何件か簡単なお題について書いてみただけだけど、けっこう楽しかった。

定年後の不安と絶望

定年を迎えて、会社に出かけることが無くなった日々。
 
その前から、あれこれ考えたり、自分なりに準備をしていたつもりではあったのだが、退職した直後から計画通りに行かなかったことなどを含めて定年後すぐに不安に襲われた。
 
それが不安なのか恐怖なのか。
 
長い間、決まった収入を毎月得ていて、毎日イヤイヤながらでも会社に出かけて仕事をしていれば、少なくとも生活の糧については心配する必要が無かった。また、会社でやっている仕事は、大きなやりがいに繋がって居ない仕事でも、日常の仲間との話し合いや、ちょっとした会議での発言、仲間からの小さな感謝などで小さな充足感はちょくちょく得ることができた。
 
会社から離れて、雇われて与えられる仕事が無いということ。また、周りに仕事仲間がいないということ。
この自由さは、それだけで対象の無い漠とした不安を生じさせる。
 
もちろん、将来に対する金銭的な不安はとてつもなく大きい。
しかも、定収入がないと言うことは、今ある貯金は今後減っていくことはあっても、それを補填する宛てが何もないということだから不安はつのる一方だった。
 
そもそも、自分は憂鬱な気分に陥りやすい。
 
学生時代は、気分の上がり下がりがけっこう激しく、数日ごとに憂鬱な気分に陥っていたような気がする。
 
そして、30代の後半には単なる憂鬱からどんどん底なしに鬱状態に陥ってそこから抜け出せない日々が1年以上物間続いた。
病院には行かなかったのだけど、まさに生きていることそのものが辛く苦しい日々で、椅子に座って呼吸をしていることそのものが不幸感そのものになった感じで生存していることが困難なくらいに辛かった。
なんとかその状態から抜け出した後も、もしまたそれと同じ状態になるくらいなら死んでしまいたいと思えるような日々だった。
 
退職後に度々襲ってくる不安も、なんとなく深い憂鬱を抱えているような嫌な不安感だった。
 
ただ、今回は不安を感じ始める度にうまく不安を心の中から逃すことができ、長い時間憂鬱に陥ることにならずに済んでいる。
それはなぜなのか。
少しは、対処の仕方を学んできたと言うことなのか、歳を取っていいかげんに物事を考える老人としての力が付いてきたからなのか、このことについても今後ゆっくりと考えていきたいと思う。

この素晴らしき時代

会社に入りしばらくした頃
仕事の中で、まず最初に実験室の中でデジタルオシロスコープや各種測定器をコンピュータにつなげて、自分で組んだプログラムで制御しながら測定データを取得できるようになった。
 
その後、実験室のコンピュータもかな漢字変換で日本語を入力できるようになった。
 
最初のうちは、プログラムよりもただ単にブラインドタッチを覚えて日本語入力がキーボードでできることだけで嬉しくて、暇さえあれば会社のパソコンをいじっていた。
自分でも、まだ発売されたばかりの8ビットパソコンを買って、Basicを中心にあれこれ試していたのだが、まだパソコン上で自由に日本語を入力できる環境は無かった。
 
あの頃から30年あまり、テキストだけでは無く、音楽や写真、動画などが次第にコンピュータで扱えるようになった。
 
最初のうちは、パソコンはそれぞれ単独の装置で、パソコン同士が接続されて何かを行うと言うことは想定ができなかった。唯一、会社でMacを使っているメンバー同士でAppleTalkというネットワークでつなぎあって簡単な連絡メールを送ったりするくらいだった。
 
今、自分の好きな音楽でも映画でもネット経由で手に入れることができ、手のひらサイズのディスプレイで書籍を即座に入手して読むことができ、音楽、映画も同じガジェットで楽しむことができる。Macの素晴らしいディスプレイで仮想のデパートで買い物をし、買ったのもは翌日には自宅まで配達をしてくれる。
離れている家族とも、手のひら端末でイラスト付きのメッセージを瞬時に送り合うこともでき、どこでも居ながらにしてテレビ電話をすることができる。写真も、フィルムの交換も現像も必要が無く、手のひら端末に内蔵されているカメラで撮影した高精細な写真やムービーまでもが、取ったその場で見ることはもちろん、遠く離れた友人や家族に瞬時に送ることができる。
仕事に必要な資料や、レポートやプレゼン資料を作成するための筆記用具や作図ツールなどはすべてMac内のデータホルダやアプリケーションソフトとして用意されていて、ノートパソコンさえあれば、すべての知的生産活動を完結することができる。
しかも、リアルタイムで更新されるネット上の仮想百科事典は、辞書的な情報を検索することもできるし、他の人たちが発言した情報、企業が用意した膨大な資料、ニュース、コラム、様々な統計データなど、あらゆる調べ毎に対応する情報がネットワークにアクセス出来るノートパソコンや手のひら端末でいつでも検索して入手することができるのだ。
 
この30年あまり、パーソナルコンピュータ、ネットワーク、デジタルメディア、センサーなどの進化が爆発的かつ加速度的に変化してきた。
 
人類の歴史の中で、この時代に生きてきて、その変化をリアルタイムに見ることができたと言うことは、デジタルガジェットをこよなく愛する自分に取ってはこの上なく奇跡のような喜びを得ることができた。
 
なんという時代のなんという地点に僕はいま生きているのだろう。
 
あと、20年か30年、世界の変化を見ていられるとして、さらに加速した変化を見ること、体験することができるだろう。

定年後の不安について

定年後の生活については、会社に勤めていた50歳のあたりからたびたび不安に襲われてあれこれ悩み考えていた。
 
不安になるたびに、まずはネットを検索してみることになる。
 
「定年」「定年後の生活」「定年 お金」「定年後 仕事」「定年 年金」など、どの都度思い立ったキーワードで探してみるのだが、たいてい書かれていることは同じ。
・60歳で定年退職をしてから、年金が満期でもらえるまでは、仕事をして貯蓄をなるべく減らさないようにするべき。
・通常のサラリーマンと専業主婦の家庭では20万/月程度の年金。
・平均的な生活費用は25万円/月程度が必要で、余裕のある生活には32〜35万円程度必要。
・貯蓄は3000万円程度は必要。
・なるべく長い間、仕事を続けることをするべき。
・家にいて何もしない生活は、老化を早める。
・いつも家にいる夫は、妻から邪魔者扱いをされる。
・毎日打ち込めるような趣味を持つことが大切。
・社会とつながりを持ち続けることが必要。
・地域社会に溶け込み、自分の役割を見つけることを重視するべき。
などなど。
 
なんど読んでも、現実と理想のすがたのギャップで不安が増すばかり。
 
60歳を過ぎてから雇用延長で会社に残ることについては、実際にその選択をした先輩たちに話を聞いてもいい話は聞こえてこず、実際にいきいきと会社生活を続けている姿を見ることは無かった。
 
自分は、60歳で会社を出て、なにか自分でできることを探しながら生きていきたいと思った。
 
さいわい60歳になるまで、会社では社外の複数のプロダクションを使って、しばらくの間は続きそうな仕事の枠組を作り上げることができ、それを任せる部下たちも育成することができた。
そのため、会社を60歳で辞めても、社外メンバーとしてその仕事を続けられるめども立っていた。
 
ところが、会社を辞めたとたんに、会社内の関連プロジェクトがすべて中止となる。
そこで、大きく目算が狂ってしまった。
 
もともと、あまり会社に残る意志もなかったのだが、いったん会社から離れてから、全く自分の仕事を続ける足がかりがすべて無くなってしまったのだ。
 
会社を辞める前に、いろいろな不安と挫折感を抱えながら、なんとか自分の先行きを確保できたと確信して安心した直後に突きつけられた現実だった。
 
かなり焦りと不安を感じた。
 
とにかく、年金が受け取れるまでの間、全くの無収入になってしまうのだから。
 
不安で、夜中に何度も目が覚めてしまうようなこともあった。
 
最初にしなければならないことは、いったん退職後の収入に関して過大な期待を抱かせてしまっていた妻に、退職後の仕事が無くなったことを伝えることだった。
 
けっこうそれが恐怖だった。
 
実際に、話しをしてみると、妻は思いの外あっさりと受け入れてくれたようだった。
ただ、それでも何かしら仕事をするんでしょ。と何か収入はあることは当たり前のような反応。
 
これが、長年専業主婦を続けてきたことから来る習性なのか、私の能力を買いかぶっているのか。
 
妻よ、会社に頼らずにお金を稼ぐと言うことは、ものすごーく大変なことなのだよ。

焦った Macの不調

リビングで一度閉じておいたMacbookProが、ブラックアウトしたまま立ち上がらなくなった。
こんなことは何度かあったので、Powerキーを長押しして強制終了を行い、またPowerキーを押せば復帰すると思っていたのだが、なんの反応も無し。
そのとき、トラックパッドを押してもクリック感が無いことが気がついた。
陥没しているという感じでは無いのだが、押し込まれたまま戻ってこない感じ。
 
もちろん、まずは同じような症状の場合の対処法がネット上に無いか検索。
ほとんど情報は出てこなかったが、古い機種で分解してトラックパッドを修理した記事があったので、思い切って分解してみることにした。
 
以前、会社の旧機種でSSDを交換したときに購入したMacbookProのオープン用のドライバーがあったので、裏蓋を外し、トラックパッド付近のねじもどんどん外していった。
 
トラックパッド部分が本体から分離するところまでは良かったのだが、本体を裏にして外したとたんに極小さなワッシャーやら細かな金属片がぱらぱらと落ちてきた。
さいわい、どこから墜ちたのかは分かったのだが、これ尾w元に戻すのが一苦労。
トラックパッドと本体はフレキシブルケーブルでつながれていて、ある角度にしか開かない上に、ワッシャーなどの金属片はトラックパッドを逆さにした状態でしか保持できないので、けっこう曲芸的な角度でMac本体を保ちながらなんとか元に戻すことができそうなことが分かった。
 
トラックパッドの裏側の周辺を確認してみると、細かな汚れが付着していたので、濡らしためん棒と乾いためん棒で丁寧に汚れを取り除いた。
 
トラックパッドを元に戻して、裏蓋をねじ止めする前にトラックパッドの挙動を確認してみると、やはり元の状態のママクリック感は無く、Macの電源も入ることはなかった。
 
また、裏蓋を取り付ける際、何度本体と裏蓋を合わせようとしてもなかなかどこかが浮いた状態になり、しかも電源が入らない状態が治らないままなので、顔から汗を流しながら焦りの中での作業だった。
 
ようやくすべてを元どうりに戻して電源ケーブルを挿して電源を入れてみたところ、なんと、アップルマークが出現。しかもトラックパッドもしっかりクリック感が戻っていた。
 
立ち上がってから、日付が1月1日になってしまっていたり、バッテリー容量がほとんど無くなっていることを知ったのはしばらくMacを動作させてから。
 
どうも、リビングに置いているときに電源ケーブルが外れていて、バッテリーが枯渇していたらしい。
 
トラックパッドのクリック感は電磁的につくり出している可能性もあり、そのためクリックもされなくなっていたのだろう。
まあ、確認したわけでは無いが。
 
とにかく、はるばる丸一日掛けて遠方のアップルストアを尋ねなくても良くなったこと、最悪の場合1〜2週間のMac入院も考えていたので、救われた思い。
 
とにかく助かった。