定年自由生活

定年後、好きなことを見つけるための日々の考察

この素晴らしき時代

会社に入りしばらくした頃
仕事の中で、まず最初に実験室の中でデジタルオシロスコープや各種測定器をコンピュータにつなげて、自分で組んだプログラムで制御しながら測定データを取得できるようになった。
 
その後、実験室のコンピュータもかな漢字変換で日本語を入力できるようになった。
 
最初のうちは、プログラムよりもただ単にブラインドタッチを覚えて日本語入力がキーボードでできることだけで嬉しくて、暇さえあれば会社のパソコンをいじっていた。
自分でも、まだ発売されたばかりの8ビットパソコンを買って、Basicを中心にあれこれ試していたのだが、まだパソコン上で自由に日本語を入力できる環境は無かった。
 
あの頃から30年あまり、テキストだけでは無く、音楽や写真、動画などが次第にコンピュータで扱えるようになった。
 
最初のうちは、パソコンはそれぞれ単独の装置で、パソコン同士が接続されて何かを行うと言うことは想定ができなかった。唯一、会社でMacを使っているメンバー同士でAppleTalkというネットワークでつなぎあって簡単な連絡メールを送ったりするくらいだった。
 
今、自分の好きな音楽でも映画でもネット経由で手に入れることができ、手のひらサイズのディスプレイで書籍を即座に入手して読むことができ、音楽、映画も同じガジェットで楽しむことができる。Macの素晴らしいディスプレイで仮想のデパートで買い物をし、買ったのもは翌日には自宅まで配達をしてくれる。
離れている家族とも、手のひら端末でイラスト付きのメッセージを瞬時に送り合うこともでき、どこでも居ながらにしてテレビ電話をすることができる。写真も、フィルムの交換も現像も必要が無く、手のひら端末に内蔵されているカメラで撮影した高精細な写真やムービーまでもが、取ったその場で見ることはもちろん、遠く離れた友人や家族に瞬時に送ることができる。
仕事に必要な資料や、レポートやプレゼン資料を作成するための筆記用具や作図ツールなどはすべてMac内のデータホルダやアプリケーションソフトとして用意されていて、ノートパソコンさえあれば、すべての知的生産活動を完結することができる。
しかも、リアルタイムで更新されるネット上の仮想百科事典は、辞書的な情報を検索することもできるし、他の人たちが発言した情報、企業が用意した膨大な資料、ニュース、コラム、様々な統計データなど、あらゆる調べ毎に対応する情報がネットワークにアクセス出来るノートパソコンや手のひら端末でいつでも検索して入手することができるのだ。
 
この30年あまり、パーソナルコンピュータ、ネットワーク、デジタルメディア、センサーなどの進化が爆発的かつ加速度的に変化してきた。
 
人類の歴史の中で、この時代に生きてきて、その変化をリアルタイムに見ることができたと言うことは、デジタルガジェットをこよなく愛する自分に取ってはこの上なく奇跡のような喜びを得ることができた。
 
なんという時代のなんという地点に僕はいま生きているのだろう。
 
あと、20年か30年、世界の変化を見ていられるとして、さらに加速した変化を見ること、体験することができるだろう。