定年自由生活

定年後、好きなことを見つけるための日々の考察

ルーティンを持つこと

会社に通わなくなって、しばらくの間はとにかく自分の部屋でパソコンと向き合いながら仕事らしきことをしようとしていた。
 
もとの会社に、自分が請け負える企画検討のようなことを提案していたので、その検討のための資料を作ったりしようと思っていたのだ。
 
ところが、これがなかなか進まない。
 
自分から提案している仕事
 
相手からすれば面倒だけど成り行き上で発注せざるを得ない仕事
 
自分一人で、部屋の中で考えているだけ
 
誰からも、刺激を与えられずにただ積み上げるだけの仕事
 
つまり対価は得られるが、誰からも強制させるわけでも無く成果物自体もレポート資料というような曖昧な仕事。
 
そもそも、こちらから提案した仕事だとは言え、仕事内容そのものにはなんの興味もわかない事柄で、ただ単に自分が売り込んでいる部署でこれから必要とするだろうというだけの理由で設定した企画内容だったから。
 
そのため、よく朝からパソコンへは向かっていながら、Webサイトでニュースを見たり、ただ意味も無く興味のあるページをブラウジングしたりすることで空疎な時間ばかりを過ごしてしまっていた。
 
そのあげくに、時間を無駄に過ごしてしまったことで、自分自身の気持ちが落ち込んで、嫌ぁな気分になっていた。
 
結局、そのような仕事が3ヶ月以上のあいだ続いた。
 
先日は、次の企画検討のための提案書を作って送ったのだが、なんどか話しをしていながら追加の発注は難しそうだと言うことが分かった。
 
まあ、じつはそんな生活をしている最中に、
 
会社を引きずっている自分
 
どうして自分は仕事を欲しがるのか
 
そうやって欲しがりながらも、仕事をやりたくないと思うのはなぜなのか
 
そもそも仕事をしなくてもいいんじゃ無いのか
 
お金を稼がないと将来の生活のためのお金が心配だなあ
 
かといって、職安に行って仕事を探したところで、良い仕事などあるわけないし
 
自分がやりたいことってなんだろう
 
などなど、グルグルと頭を悩ませていた。
たぶん、あれこれ悩んでいると言うことは、きちんと頭を使って考えていないと言うことでもある。
 
その頃の日記には

やりたいこと、楽しいことだけを仕事にするはずだったのに、今は全く興味が無いことも仕事としてやろうと思っている。

自分にできない、やりたくない仕事も仕事として受けられるのならば修行の場として設定する。
今までムリだと思っていたことができるようになり、また嫌だと思っていたことの中にも喜びを見つけるテーマが見つかれば人生の選択肢が格段に増えることになる。

以前会社に通っていた頃には、朝方とても憂鬱な気分に襲われていても無理矢理会社に行くことで、やらなければいけない雑用や気が重い仕事に取りかからざるを得なかった。しかし、嫌な仕事でも無理矢理やっていれば、人との会話もせざるを得ず、いつの間にか自然に憂鬱な気分がどこかに行ってしまっていた。
以前は、だからこそ会社に来ることが大事なのだと思っていたのだが、大事なことは会社に行くことではなく、嫌なことにも前向きに取り組むと言うことや、とにかく活動をして人との交流も計ると言うことではないか。

などと書いている。
 
で、話しは飛ぶのだが、その間に身に付けた唯一自分に取って良かったと思って居ることは一つの習慣
 
朝、朝食を食べてから、気に入った散歩コースを必ず1時間ほど早足で歩くこと。
 
夏になる前までは、家から工業団地まえの歩道を通ってリンゴ畑、麦畑などを見ながら5キロほどのコースを歩き、夏の日差しがきつくなってからは、車で森林公園のようなところまで行って、木陰の散歩道を1時間ほど歩く。
 
また、散歩の後は、家の中で階段から2階の自分の書斎、寝室を隅々まで雑巾がけをして掃除。
 
これらを毎日のルーティンとして、例外なく行うようにした。
 
朝、パソコンに向かうのは、たいてい10時頃になるのだが、それまでには気分もすっかり整ってきてやることは明確になっている。
(ときには、明確になっていないのだけど)
 
つまり、あれこれ思い悩むことから脱却するためには、そのような決まった活動で身体を動かすことがとても有効だと言うことがわかった。

定年退職から半年あまり

今の時代、たぶん定年延長の過渡期ではあると思うのだが、多くの会社では60歳になって雇用延長を望む場合には65歳まで再雇用が認められる。
 
自分の場合、それまでの給料が1/3程度になってしまうことや、再雇用ではフレックス時間勤務すら無くなってしまうことなどから、雇用延長を申し込まずに会社を辞めた。
 
会社をすっぱり辞めた大きな理由は、なんとか元の会社から仕事を受けながら収入の確保はできる予定だったので、ときどき会社に顔を出しながら、自宅で仕事を続けていけば良いかなと思っていた。
 
ところが、最初の3ヶ月くらいはなんとか仕事を作ることはできたのだが、その後は仕事をもらっていた職場の状況が大きく変わったことで仕事が得られなくなってしまうことになった。
 
ちょっと考えが甘かったかな。
とは、すこしだけ反省。
 
でも、この半年、会社に通わずに家でいろいろ考え事をまとめたり、家やカフェで仕事をしたりしているうちに、会社に通わないことの開放感をぞんぶんに味わってしまった。
やはり、もう会社には通いたくはないし、会社に残らなくて良かったとも思っている。
 
まあ、この半年の間は、最初に思い描いていた定年生活のスタートがどんどん崩れ始めて、不安にさいなまれたりただただ憂鬱な気分におちいったりした。
 
それでもなんとか気分を持ち直しながら、会社勤めの内自由な生活も少しづつ楽しめるようになってきたというわけ。
 
30年以上会社勤めをしてきたとはいっても、自分の場合には普通の会社にいながら、明らかに普通の社員とは違う行動原理で動いていたし、結局さいごまで会社の雰囲気に慣れることが無く不自然なサラリーマン生活を続けていたのだと思う。
 
まあ、その辺のこともあれこれ思い出しながら、今後のあたらしい人生と日々の思いなどを綴っていきたいと思う。